#オンラインライブハウス(仮)の話
オンラインライブハウス(仮)、ヒジカタさんの弾き語りライブを見た。
本人もnoteに綴ってらしたが、久しぶりにチケットを予約するという行為を体験した。
数えてみるともう4か月はライブハウスへ行っていない。
この期間にいったい何枚のチケットを現金に戻したことだろう。
開場から開演までの間、ライブハウス「太陽と虎」や手描き看板、ライブチケットの映像が流れていた。
このライブは事前にオンラインチケットを購入した人だけが視聴できるため、当日の看板や紙チケットは必要ないといえば必要ない。
それを準備するところに、オンラインとはいえライブハウスのライブとして届けるぞという意志を感じた。
見にいったライブ看板を写真に撮ったり半券をとっておくのは確かにすてきな時間を過ごした痕跡だからで、形に残る思い出として大事にしているんだとあらためて思った。
あの紙チケット、ほしいな………。
ヒジカタさん自身が選んだ曲とお客さんからのリクエスト曲が織り交ぜられたセットリストだった。
全体的にやさしい歌、切ない歌が多かったように思う。
コロナと、それに付随するいろんな問題や事件で連日かなしいニュースばかり。
すっかり心が疲れてしまっている。
エンタメは不要なもの・不急なものとして括られてしまっていたが、参ってしまった心をこんなにも掬いあげてくれる。
命や安全と比べると確かに今は我慢の時なんだろうが、不要なものでは決してないよなとヒジカタさんの歌を聞きながら思った。
よくライブハウスへライブを見にいっていた。
絶対に自分に必要なものだと思っていたのに無くても生活はできている。
わたしにとって、その感覚の方がライブに行けないつらさよりも勝っていた。
どんな生活でも人は慣れていくんだな。
それは逞しさであり物悲しくもあると思う。
ひょっとするとコロナが収まっても今までみたいにライブハウスへ通う生活には戻らないかもしれない。
自粛期間中、そういう考えがよぎることも何度かあった。
でも「ライブに行きたくなる曲で終わろかな、いい曲より」と言って歌ったアンコールラストの一曲、それはドラマチックアラスカを見にいったライブハウスで何度も何度も聞いてきた歌だった。
落ちサビ、ヒジカタさんは歌わなかった。
頭の中ではフロアに響くお客さんたちの歌声が鳴っていた。
こんなにも易々と思い出せるほどアラスカを見に通ってたんだなと気付き、素直にまた見にいきたいと思った。
ヒジカタさんの思惑通りである。笑
離れるかもしれないという思いが、一瞬でひっくり返される。
音楽の、ライブハウスの魅力は底なしの天井知らずだ。
未来で今まで通りの生活はきっと待っててくれない。
おそらくいろんなことが変わっていく。
それでもわたしは、またライブハウスへ行きたい。