「うるう」を観劇した話
高校生の頃、オンバトを見てお笑いが好きになった。
当然ラーメンズのコントもいろいろ見てきた。
小林賢太郎さんが演劇やアート、執筆活動などでも活躍していることは知っていたが実際に見たことはほとんどなく、つい最近まで「ラーメンズの人」「コントの人」という認識だった。
その日はたまたま広島のお笑いライブを見に行く予定で、直前になって小林さんの舞台の当日券情報を目にした。
本当になんとなくだった。チケットが取れたら見にいこうかな。
幸運にもチケットが取れて見にいったのが、小林賢太郎さん作・演出・出演の「うるう」だった。
この1公演をきっかけにわたしはどっぷり小林賢太郎さんの虜になってしまった。
※以下ネタバレあり
うるうは初演→絵本→再演→再再演(今作)という流れだそう。
気まぐれの観劇だったため初演も再演も絵本も「うるうびと」というショート作品も観ずに見にいった。
絵本はぼく、今作で言う少年マジルの視点で進むが、今作はうるうびとであるヨイチが主人公である。
深い深い森の奥に住んでいるヨイチさん。
話はヨイチさんが様々な野菜同士を一緒に育てた場合、組み合わせによってどう成長するのかどういう味になるのかを記録しているシーンから始まる。
まずそこに違和感を覚えた。
植えてから収穫までとても時間がかかるのに、そんなにもたくさんの組み合わせで育ててきたのか?
通り過ぎれなくはないけど何か引っかかってしまう絶妙な違和感が、ヨイチさんとはどういう人なのかを知ると納得の材料に変化するところがすばらしかった。
ラーメンズでも言葉を巧みに操ったコントをたくさん見てきたが、演劇でも至るところに散りばめられていた。
スギボックリにうるうになぞられたオリジナルのいろは歌。
ヨイチさんは不思議なことも教えてくれた。
トランプと一年の関係。
まるで魔法の呪文を教えてもらったような気持ちになった。
不思議なものというのは、いくつになってもわくわくするから大好きだ。
いつもひとつ足りない、いつもひとり余る。
余りの1だと言うヨイチさんの、想像なんかでは追いつけない悲しみに胸が痛む。
友だちを作っても傷つくと分かってる。だから友だちはいらないと拒否してきたヨイチさん。
ふたりが同じ時間軸で生を共有することはできないが、それでもマジルと出会ってほんの一時でもひとりでは生み出せない種類の喜びを感じられたのであれば、わたしはやっぱりそれをうれしいなと思う。
40年後、絵本ではマジルの音楽とヨイチさんの歌声が交錯した。
しかし舞台では、確かに、しっかりと、ヨイチさんとマジルの視線がかち合った。
その瞬間を見た時は涙が止まらなかった。
暗転後、大喝采の中ヨイチさんを演じた小林賢太郎さんが深々とお辞儀する。
鳴りやまない拍手にダブル。
やわらかな笑顔を浮かべながら、袖から呼んだ透明の子はマジルだ。
あの子と手をつないでいたのは小林さんだったのか、ヨイチさんだったのか。
そこに「居る」のがうれしくて、温かい気持ちのまま会場を後にした。
アウトプットすればあの感動が零れ逃げてしまいそうで書けなかった。
観劇からずいぶん時間が経ってしまったので細部記憶違いがあるかもしれない。
それでも、残しておきたかった。
わたしは絶対4年後にまたヨイチさんとマジルに会いたくなるはずだから。